菅原道真って誰だっけ?
なんとなく歴史の授業で聞いたことがあるけど…。
五条家との関係は?実在するの?
ここでは五条と乙骨のルーツである菅原道真に注目。
日本三大怨霊「菅原道真」とは?
日本三大怨霊の一人
菅原道真は平安時代前期に実在した人物。その文才が買われ若くから出世した貴族の1人です。
しかし、最終的には太宰府に左遷されて不遇な死を遂げることになります。
無実の罪に問われ、悲憤のうちに亡くなった菅原道真は、死後日本三大怨霊一人として恐れられるようになります。
ちなみに日本三大怨霊の残りのあとの二人は平将門と崇徳天皇です。
参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A8%E9%9C%8A
文才が凄い
菅原道真は幼少期から飛び向けた文才を発揮しており、11歳のころには漢詩を詠んだとか。その才能が高く評価され、若いうちから順調に出世を重ねていきます。貴族出身でもあるので、超エリート街道を歩いてきたといえるでしょう。
宇多天皇に重用
彼は時の帝・宇多天皇の信頼厚く、側近に取り立てられ重用されます。
専任者を超えて、高い地位を得、さらに自分の長女を宇多天皇の女御、三女を宇多天皇の妃とすることでより朝廷での力を強めて右大臣にまで上り詰めます。
順風満帆な人生を送り、朝廷での強い権力を手にした道真ですが、思わぬ事件に巻き込まれ、その地位を失うことに。
太宰府に左遷
菅原道真と時を同じくして左大臣の地位に任命された道真のライバル・藤原時平が、「菅原道真謀反の疑い」を醍醐天皇に讒言。
結果として菅原道真は都から九州の太宰府に左遷されることになります。
また、自身のみならず、子供たちも処罰されたことから、道真は恨みを深めていったと思われます。
怨霊になっちゃう
無実の罪で僻地に追いやられ、太宰府では政務を行うことは禁止、俸給や従者も与えられず囚人のような暮らしを強いられた菅原道真は、左遷されてから二年程度で非業の死を遂げます。
その数年後にライバルの藤原時平が39歳の若さで病死。
さらに天皇のおわす清涼殿に落雷が直撃し、尊い身分の官人や公卿が大勢巻き込まれました。
その中には太宰府での菅原道真の動向を監視していた人物がいたこと、また醍醐天皇は直接落雷の被害を受けたわけではありませんでしたが、宮中での惨劇図を目にしたショックから体調を崩して数ヶ月後に崩御してしまったことなどから、一連の悲劇は「道真の怨霊」によるものといわれるようになります。
天神信仰で雷神に
清涼殿落雷事件から菅原道真は雷と結び付けられ、火雷天神(神格:天満大自在天神)としてお祀りされるようになります。
怨霊となった道真を恐れた朝廷は北野天満宮、太宰府天満宮、そして大阪天満宮を次々と建立しました。
現在「天満宮」「天神」と呼ばれている場所には、天神となった道真公がお祀りされています。
学業の神様としても有名ですね。
子孫には五条家もある
道真よりも時代が下り、鎌倉時代の子孫である菅原為長以降一族は公卿に列せられ、高辻家、五条家、東坊城家、唐橋家、清岡家、桒原家の6つの堂上家を輩出しています。
呪術廻戦に登場する五条家は、この五条家がモデルなのではないかと思われます。
参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E5%8E%9F%E6%B0%8F
まとめ
・菅原道真は「日本三大怨霊」の一人
・のちに天神として祀られることになった
・菅原道真の子孫である五条家は実在
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